大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成3年(オ)1287号 判決

上告人

竹本安雄

花本春義

近江香

高橋コツル

片山勝

右五名訴訟代理人弁護士

岡本貴夫

岡本哲

被上告人

笠岡市

右代表者市長

渡邊嘉久

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人岡本貴夫、同岡本哲の上告理由第三の一について

昭和四八年法律第八四号による改正前の公有水面埋立法三六条二項の規定による埋立ての追認は、埋立ての免許を受けないで埋立工事をした者以外の者に対してもすることができると解するのが相当である。原審の適法に確定した事実関係の下においては、被上告人に対してされた埋立ての追認及び竣功認可の各処分を適法、有効なものであるとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、これと異なる見解に立って原判決を非難するものであり、採用することができない。

同第三の二及び三について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、いずれも採用することができない。

同第三の四について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官木崎良平 裁判官藤島昭 裁判官中島敏次郎 裁判官大西勝也)

上告代理人岡本貴夫、同岡本哲の上告理由

はじめに

第一 本件訴訟の原審判決

第二 不当な行政追随の原審判決

一 原審判決の骨子

二 閉ざされた不親切な日本の裁判所

第三 上告人ら各主張について

一 無願埋立追認権者

二 本件埋立地についての慣習法上の専有権

三 条件付売買及び行政法上の確約について

四 取得時効について

第四 結語

はじめに〈省略〉

第一 本件訴訟の経緯〈省略〉

第二 不当な行政追随の原審判決〈省略〉

第三 上告人各主張について

一 無願埋立追認出願権者について

昭和四八年改正前公有水面埋立法三六条について、無願埋立者のみが出願できると解すべきである。同様な判例は、岡山地裁昭和六一年一月一六日、判例地方自治二〇号四〇頁、山口地裁矢内支部昭和五四年二月一六日ジュリスト六九号三頁がある。もっとも、前者は本件訴訟の仮処分に関するものであり、厳密に先例というものではないし、控訴審でひっくりかえっており、現在特別上告中である。

これが文言の素直な解釈であるし、そもそも同条の趣旨が無願埋立をした者の投資を保護するものである以上、当然の解釈と言えよう。

原審は、これとは別の判断をした。

一般に、埋立法三六条二項による無願埋立追認の出願をなす者は、実際に公有水面の無願埋立をした者であることが通例であり、同条項もこれを予想していたものと解される。(ここまでの判断は上告人代理人も納得がいく)

しかし、無願埋立の場合であっても、埋立土石は、独立の動産としてその所有権は無願埋立者に帰属し、同人においてそれを事由に処分することができることや、公有水面埋立権は譲渡性を有するから(埋立法一六条)、無願埋立者が追認を受けたのち、第三者に埋立権を譲渡することが法的に可能であることに鑑みると、無願埋立者が同意するときには、第三者において独自に埋立法三六条二項により、無願埋立につき追認の出願をして同追認を受けることができるものと解するのが相当である。(この点は納得のいかないところである。ほかのところでは形式論でいきながら、類推解釈を行っているわけである。

行政行為で追認ができることは当然の法理というわけではない)

本件において、前記のとおり無願埋立をしていた北木島の石材業者らは、上告人竹本安雄が一括して本件公有水面の無願埋立追認の出願をなすことに同意し(但し上告人竹本が無願埋立追認出願手続代行の委任を受けたものではない)、上告人竹本は、独自に本件無願埋立追認を出願し、岡山県知事から同追認の処分を受けたのであるから、第一事件上告人の同追認の出願は適法であり、また同知事のした本件の無願埋立追認及びその後の竣功認可の各処分も適法であるものと言わなければならない(もっとも、弁論の全趣旨によると、無願埋立の石材業者らのうち数名は、上告人竹本が本件公有水面の無願埋立追認の出願をなすことに同意しなかったことが認められるが、本件整備事業の公益性に徴して、多数決原理に従って、無願埋立の石材業者らの大多数が同意していることをもって足りるものと解されるし、仮にそうでないとしても、数名の同意を欠いているという瑕疵は、本件追認及び竣功認可の各処分を無効ならしめるものではなく、被上告人及び上告人竹本以外の上告人も主張しない)というのである。多数決原理というのは本来会議体の意思決定のための原理である。意思自治の原則が一般的には妥当とするのであり、多数決原理を行うためには、その団体を形成する団体でその個人の意見が確認せられねばならないのである。その点でもこの理論は暴論というべきであろう。

いったい、一般の意思自治の理論から考慮して、この点で被上告人の申請を全て有効ならしめるのは何なのか、上告人代理人の貧弱な頭では思い付かないものである。賢明なる上告審の判断をお願いしたい。

二 本件埋立地についての慣習法上の専有権

前述のとおり、原審判決は、本件埋立地について専有権は成立していない。また成立していたとしても法例二条の禁止する強行法規に反する慣習であり、認められるものではないとしている。

まず、慣習が成立していないという認定は、経験則に反するものであり、法に従った妥当な事実認定をする裁判所の任務に違反する違法な認定と考えられる。

国際法上のものとはいえ、領土が上空数キロに過ぎないという国際慣習法が成立するにはスプートニク衛星が打ち上げられて数年で成立しているのである。また、仮に慣習法が認められないとしても、その結果は、原審の展開する以下の誤った法律論に基づいて訴訟指揮がなされた結果、この慣習法についての立証の機会が与えられなかったため証拠がないわけである。立証させなくては証拠がないことはあたりまえであり、これによって、本来存在すべき権利がなくなるのでは、上告人らにとってはふんだりけったりであり、裁判を受ける権利(憲法三二条三八条)を侵害されている。

また、法例二条違反についても法令解釈の誤りを犯している。

慣習というのは、民衆の間で合理的と認められて成立するものであり、法律が制裁を加える淵源である民主主義の契機を有するものである。わが憲法が民主制をとる以上、その民主的意思は原則として尊重に値するのであり、それが強行法規としてそれに反する慣習の成立を許すものであるか否かについては慎重な判断が必要である。

例えば、譲渡担保の有効性である。

譲渡担保は、流質の禁止という物権法という強行法規に反するものである。ところが、経済的合理性がある場合であれば強行法規に抵触するものであっても、現在その有効性を否定するものはない。流質の禁止自体合理的なものと言えないこと、動産占有を債務者のもとにおいたままで融資を受けること、担保的拘束をとることの合理的必要が認められることから、譲渡担保の有効性について異論を唱えるものは現存在しない。

本件でも、埋立てを奨励するために、当該埋立てた土地をもらえるというのは公共政策としても不合理ではない。

現に江戸時代の新田開発、あるいは北海道の屯田兵制度においても自分で開発した土地は自分のものとなっていたのである。これは、日本の常民の発想では共通していたのであり、むしろ慣習法ありと認定するほうが経験則上合理的と言えよう。

そして、公有水面埋立ての禁止は、環境行政上のものであり、即座に監視できないような地域ではそもそも実害が表面化しない以上、許容されてよい筈である。

従って、本件所論は形式論に過ぎず、実質に全く踏み込まずに結論を提出したものであり、的をはずれているといわざるを得ず、行政追随のために法を曲げた解釈をなしたように思われる。

三 条件付売買契約及び行政法上の確約について

行政上の確約の法理について

確約とは、「行政庁が将来行うであろう公法的行為について自己拘束する意図をもって相手方に対して行う意思表示」(菊井康郎「行政行為の存在法」有斐閣・昭和五七年一三二頁)ないしは「行政が将来における自己の行為または不作為を一方的に約束する自己義務づけたる言動」(乙部哲郎「行政上の確約の法理」日本評論社・昭和六三年二五八頁)と言われるものである。

「正式の決定がなされる(それには一定の手続・形式等が必要なので時間がかかる)前に処分等がなされることを相手方に知らせることによって、相手方の利益に資するものである。行政実務上は、内許可・内認可・採用内定として行われているものである。

確約の観念はドイツにおいて発達し、連邦行政手続法典においても規定されるようになったもので(ドイツ連邦行政手続法三八条)、わが国にも、この概念を積極的に導入すべしとする見解がある。しかしわが国においては、最高裁判所は地方公務員の「採用内定の通知は、単に採用発令の手続を支障なく行うための準備手続としてされる事実上の行為にすぎない」(最判昭和五七年五月二七日民集三六巻五号七七七頁、行政法判例二一九事件)として、独立の法的効果を認めていない。

(中略)

(a) 被上告人が昭和四八年七月一六日、北木島豊浦公会堂において当時の笠岡市長及び幹部が列席した上、被上告人建設部長において上告人らに対し、

「完成した後は皆様の意見を尊重して処分するその経費についてはこれに投じた額を原価計算して皆様に負担することになる」

と約束している。(〈書証番号略〉参照)

右の「皆様の意見を尊重する」とは、上告人らが既に被上告人に対し述べていた「埋立地の無償払下げ」であり、又「その経費」とは被上告人が測量費等これに投じた額を原価計算して上告人らに負担させることである。

換言すれば、本件埋立地につき、被上告人が追認及び竣功認可を受けて所有権を取得したときは、測量費等の必要経費の負担の他に対価を請求することなく払下げることを約束した。

(b) 上告人らが右約束を信じて、被上告人の指示のとおり海面を埋立てた。

(c) 被上告人の埋立ての責任者が、上告人らに対し「無償で払下げを受けるのであるから、期日まで埋立てをするように」と催促する等、被上告人においても上告人らに対する埋立てを催促していた当時には、上告人に無償で払下げをするものと考えていた。

こと等を考慮すると、本件では行政法上の確約の法理により、上告人らの主位的請求が認められるべきである。

四 取得時効について

本件では(1)公物は公用廃止によりその公物としての性質を失わない限り時効取得の対象となりえず、(2)この公用廃止は行政主体の明示の意思表示によらなければならない、という理論を前提に、(2)がない以上、本件において取得時効の主張については判断の必要なし、としている。

しかし、黙示の公用廃止という理論構成は最高裁昭和五一年一二月二四日第二小法廷民集三一巻一一号一一〇四頁で認められており、本件においても、笠岡市が上告人竹本から実質的な租税の徴収をなしていたことは、むしろ黙示の廃止があったものと言いうるものである。

とすれば、本件に対する原審判決は、最高裁判例に対するものと言えよう。少なくとも黙示の廃止について判断していない以上、審理不尽と言える。

なお、那覇地裁昭和五五年一月二二日判決(訟務月報二六巻三号四五六頁)は、公有水面埋立法の趣旨を考察して「自然の状態のままで一般公衆の用に供されている公有水面について、利害関係人の利益を調整しつつ、適正かつ合理的な国土の利用を図るため、厳重に埋立てを規制しようというものであるから、公有水面を埋立てて造成した埋立地について所有権を取得するには同法所定の手続によるほかはなく、たとえ埋立免許を受けないで違法に埋立工事を行って埋立地を造成した者が当該埋立工事に係る埋立地につき占有を継続したとしても、その所有権を時効取得する余地はないというべきである」と判示した。

しかし、昭和五一年判決は水路についてのものであり、水路と公有水面とで本質的な差異があるというべきでなく、本件についても、昭和五五年最高裁判決が妥当すると言うべきである。

第四 結語

以上より、上告人らの財産権(憲法二九条)を確保し、人間の尊厳の実現をするためにも、本件上告をいれて破棄自判されるよう思料する。

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